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サルバドール・ダリ

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  1904年生まれ-1989年没(84歳) フランスとスペインの堺で裕福な家に生まれる。 ピカソの友人ラモン・ピシェットから才能を認められる。 ピカソと同じ王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学。 イケメン。神経質。女子苦手。 BLがあったが、近親?妹を描く。 無茶苦茶 器用。何でも描ける。そして自分が無い。 キュビスムの自画像。 ピカソ風の絵。とにかく何を描けばいいの?の人。 22歳の頃、ピカソに会いに行く。ミロもいて、「シュールでやっちゃいなよ。」とか言う。 ミロがダリの父を説得してパリに出てくる。 アカデミーで仲良かったその後に映画監督になる。 ルイス・ブニュエルと映画を作る。「アンダルシアの犬」 ダリとシュルレアリスム。1929年。 パリで映画の評価が高い。大絶賛。 詩人、彫刻家、画家など才能のある仲間に会い、シュルレアリスムの方向へ決めてくれる人に出会う。ダリがこの仲間を家に招待する。 友人で詩人ポール・エリュアールが妻(ガラ)と来る。ダリにとっては女性で初めて好きになった。その妻とダリは親しくなり、結婚。ガラ40歳、ダリ30歳。 生涯この妻ガラひとり。ダリは自分では何も決められない人だった。 すべてをガラの言いなりになり、作品もガラの指示で描く。 ガラが絶対的な存在となる。 1930年ファッションデザイナー エルザ・スキャパレリとコラボして色々作って行く。 ファッション、次はジュエリーとガラが指示。インテリアの世界も…どんどん儲けていく。 シュルレアリスム=ダリとして、ニューヨーク万博でダリ館。ここでも儲ける。 シュルレアリスムの仲間からドルの亡者と非難を受けるようになる。 シュルレアリスム=フロイトの精神分析理論に影響を受け、無意識の表面化を目指した。

パブロ・ルイス・ピカソ

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 1881年生まれ-1973年没(91歳) スペイン、アンダルシアに生まれる。 父は美術講師、修復家、画家。 子供時代から美術の英才教育を受ける。 父は「こいつを伸ばすために生まれて来た」と言うほど、才能を認めていた。 16歳で国の展覧会で優勝。 王立サン・フェルナンド美術アカデミー入学、退学。 バロセロナで「4匹の猫」というカフェに通う。アーティストのたまり場だった。 バルセロナはフランスに近く、刺激を受ける。 親友カサヘマスとパリへ。 ピカソがバルセロナに帰っている間に、カサヘマスはモデルの女性に恋をして自殺。 ピカソはこれにショックを受け「青の時代」になる。 モンマルトルにある「洗濯船」というアパート下宿やどに腰を落ち着ける。 ここには貧しい多くの芸術家が集まった。 アトリエ兼集合住宅、モデリアニやアポリネールなど。 恋人フェルナンドで「青の時代」が終わり「バラ色の時代」にへ。 女性が変わるたびに作風も変化する。 社会の下層に居る人々を描く。 セザンヌの影響を受け、ピンクの「アヴィニヨン(売春宿)の娘たち」を描く。 民族美術ブームが起こる。きっかけはゴーギャン。 「アフリカ彫刻の時代」も「アヴェニヨンの娘たちの顔に描く。 「キュビスムの時代」などもあった。 「ゲルニカ」 考察 右から 落ちる女:ピカソ自信、あるいはイエスキリスト 灯火を持つ女:ろうそくや灯火は「真理」のモチーフ。 駆け寄る女:彼女は画面左にいる子の亡骸を抱く女を慰めようとする何か。共和国を支援した唯一の国、ソビエト連邦の揶揄とも。 馬:爆撃の犠牲者やスペイン共和国政府を表している。 死んだ兵士:ファシズムの犠牲者、またはスペイン市民の代表。 電球:内部に電球が描かれた光源は神の目、つまり全てを明るみに出す証人を表す。 鳥:机の上の鳥は精霊や平和の象徴。 牛(ミノタウロス):ギリシャ神話の怪物、ミネタウロスは暴力、好色、平和など様々な象徴であり、善悪どちらにも解釈。 子の屍を抱いて泣く女:彼女は爆撃の被害者を表しており、ピエタ(刑で死んだキリストを抱くマリア)。この女性のモデルはピカソをめぐって泣き叫びながら争った女性達。 泣く女 考察 当時の恋人ドラ・マールが妻オルガとピカソの子を産んだマリーが修羅場になる。 その様子はゲルニカの子の屍を抱いて泣く女に取り入れられている。

フランシスコ・デ・ゴヤ

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  着衣のマハ フランシスコ・デ・ゴヤ スペインの画家。宮廷画家。 1746年生まれ。父親はメッキ師であり、芸術の中で育つ。 1770年大画家を目指しイタリアへ。ルネサンスに出会いフレスコ画の技法を学ぶ。 27歳、兄弟子の妹と結婚。 1786年、カルロス3世付の画家、1789年カルロス4世の宮廷画家。 46歳で聴力を失う。 82歳で逝去。 「裸のマハ/着衣のマハ」 1800年時代。マハは名前では無く、スペイン語で「小粋な女性」の意。ゴヤが付けた名前では無い。 この裸の絵は1800年頃は許されたヌードでは無い。 個人的に頼まれて書く場合はOKだった。 宮廷画家にこのような作品を依頼するのは難しい。 マヌエル・デ・ゴドイ公爵宰相の家にあったから、この人の依頼だとされている。 マヌエルは王妃の寵愛によって大出世をした人。公然の秘密だった。 カルロス4世の一家の絵「カルロス4世が馬鹿っぽくて、王妃のマリア・ルイサが美人に書かれていないのでゴヤの皮肉じゃないか?と言われている。 この絵には左端にゴヤを書き込んでいる。 このマリア・ルイスとマヌエル・デ・ゴドイ公爵が愛人関係である。 異端審問かけられた絵画であった。 「白衣の公爵夫人」 =第13代アルバ女公爵(スペインで最高の位) この人がマハのモデルと言われていた。 マリア・ルイサ王妃のライバルであった。 一時、ゴヤを愛人にしていた時がある。ゴヤはアルバに捨てられるがその前に書いたのが 「黒衣の公爵夫人」 足元に「ゴヤだけ」と書かれている。指輪にもゴヤ、アルバの刻印。 35歳~38歳。それを考えると、マハはアルバでは無いのではないか?とも言われている。 別のゴドイの愛人。使用人、ペピータという住み込みのお手伝いが居た。一途だった。結婚したいと思っていたが、王妃マリアから身分が合わないと駄目が出る。王妃が差し出した女性と結婚するが、その妻が無くなるとペピータと結婚する。 「マハ」はペピータだったのでは無いか?が定説になっている。 マヌエル・デ・ゴドイ公爵はナポレオンと和平条約を結ぶなど親フランスの人だった。 ナポレオン攻めて来ないでねとお願いしたのに攻めて来た。 1808年にカルロス4世が廃位させられる。ナポレオンの兄ホセ1世(ジョゼフボナパルト)がスペインの王となりマドリードの市民がナポレオンの軍にやられるという絵が ...

エル・グレコ

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  エル・グレコは1541年、ヴェネチア共和国統治時代のクレタ島、現在のギリシャの島に誕生。本名はドミニコス・テオトコプロス。1614年に逝去。 スペイントレドで活躍。突出して変な画家。と言われる。 画家人生: 当時の統治領などの影響でポスト・ビザンティン美術の要素をもちながら 独学で部分的にイタリア ルネサンス美術の手法を取り入れる。 1563年22歳でイエス・キリストや聖書の重要な出来事を描くイコン画家として独立。 1567年26歳、イタリアのヴェネチアへ。ティツィアーノ・ヴェチヴェリオの弟子に。 色彩や遠近法、解剖学、油彩技法などのルネサンス様式を習得する。 「モデナの三連祭壇画」 36歳でスペインへやってくる。 初仕事は大聖堂の「聖衣剥奪」 光の表現が好きだった。 原色(赤・黄色・緑・青)を大胆に使う。 ローマでは実力のある画家が多かったので仕事が無かったが、スペインに来るといきなり大きな仕事を請け負う事になる。 スペインで国王フィリペ2世からエル・エスコリアルの建築の仕事の依頼を受ける。 「聖マウリティウスの殉教(じゅんきょう)」→フィリペ2世がダメ出しを出す。 理由は、「殉教」が小さすぎる。がちゃがちゃしてて祈る気になれない。と言われ宮廷画家の夢が潰れる。 しかしトレドでは人気があった。教会が異常に多くある。 イスラム文化、ユダヤ文化の文化がたくさんあった。 首都がトレドからマドリッドに移される。 画家がマドリッドに行ったので、トレドに居るエルグレコに仕事がたくさん舞い込む。 「オルガス伯の埋葬」→下半分は普通、上半分はがちゃがちゃ。 エルグレコ節がさく裂した作品を出す。 絵は「浮遊感」「多視点」「変形」「原色」おおげさに引き延ばされた体。曲がりくねったポーズ。遠近法が狂った空間に漂う人々の表現。

サンパウ病院

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 サンパウ病院 スペインのバルセロナにある病院。(世界遺産) 2009年まで診療がおこなわれていたが、老朽化で閉鎖。 モデルニスモ建築。(アールヌーボウなどのカトリック様式近代主義) 歴史 1900年初頭、小規模な6つの病院が総合病院に統合された。 産業革命とそれに伴う市の人口が急増した18世紀半ば、それまでの施設では手狭となり 当時の銀行家で富豪パウジルが彼の寄付で増築工事が開始された。 サグラダファミリアの12.5倍の面積を持つ。 病院建設に巨額な寄付をしたパウ・ジル氏ですが、自己顕示欲が強く、病院の至るところに自分の痕跡を残すように指示したりと、善意が感じられないものだと言います。 パウ・ジル氏の資金が枯渇し、市民の寄付によって出来た聖マヌエル別館はパウ・ジル氏の名前を入れなかったそうです。

グエル公園

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 グエル公園(世界遺産) アントニオ・ガウディの有名な建築。世界遺産。 エントランスの大トカゲ。 その上にある丸いオブジェにはモザイクで蛇が作られています。 この蛇はギリシャ神話の中でモーゼを守ったと言われるネフシュタン。 その下の真ん中には、ギリシャ神話の中の「世界のへそ」と言われるギリシャにある都市デルフィを象徴した石。 階段を昇って行くと、柱が立ち並ぶホールが見えてきます。市場を目的に作られた。 円柱の下には貯水槽が設けられていて、上の大広場の雨水を貯めるしくみになっている。 大きな広場では、半円形の形をしている住民たちが集まるスペースがある。 広場の周りの長ーいベンチ。トレンカデイスを使用。ガウディの裏方を務めたジョセップ・マリア・ジュジョールによるもの。 洗濯女の回廊(柱廊)、公園に道路を通す為に建築された擁壁(ようへき)です。 中央エントランスの両脇に可愛い「お菓子の家」がある。ショップになっているそう。

サグラダファミリア

 サグラダファミリア

ヘネラリフェ庭園

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 ヘネラリフェ庭園 アンハンブラ宮殿の敷地内にある美しい庭園がこのヘネラリフェ庭園。 当時王族に使用されていた離宮。 イスラム建築の技法のひとつとして、水の技法がある。 噴水や水路が階段状になっている等。 アセキアの中庭はおすすめ。

アルハンブラ宮殿

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アンハンブラ宮殿は、スペイン グラナダに建つ、スペインにおける最後のイスラム政権ナスル朝の王宮。 アンハンブラは「赤い城」を意味する。 ナスル朝初代、ムハンマド1世が建設。 城塞都市として  住宅、官庁、軍隊、モスク、学校、浴場、墓地、庭園などがある。 「カトリック両王が眠る街」と知られ、グラナダの美しさに魅了されたといわれるイサベル女王の銅像が街の中心に建っている。 イサベル女王にとってグラナダは生涯において縁の深い場所。 スペインに残っていた最後のイスラム教徒の国家を消滅させた場所で、コロンブスの公開についての協議、支援の詳細を決めた場所。

サンタクルス街

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 サンタクルス街 細く入り組んだ石畳の路地が続くサンタ・クルス街、かつてユダヤ人が住んでいた旧市街地。 アルカサル宮殿に水を供給していた水道管がある事から「水の小路」(アグア通り)と呼ばれている。 お土産屋さんなど覗いて回ろう

ヒラルダの塔

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 ヒラルダの塔 ヒラルダの塔は、スペインのセビリアにあるセビリア大聖堂の鐘楼(しょうろう)。 アルモハド王朝の治世中に、スペインの大モスクのミナレット(イスラム今日の宗教施設に付随する塔)として建築。 カトリック教徒によってルネッサンス様式の鐘楼が追加された。 ルネッサンス様式とは 特徴として水平線や半円を取り入れた軽快でバランスのとれた建築様式。 シンメトリーとバランスが重視、全体的に凝り過ぎずシンプルで合理的な造り。

サントトメ教会

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 サントトメ教会 スペインの「古都トレド」にて。 サント・トメ教会は12世紀にアンフォンソ6世が建造した教会。 アンフォルソという名前は度々スペインの家系図にも出てきて誰が誰やら解らないが、とにかくスペインへ旅行するなら、この名前は憶えておこう。 ただし、アンフォルソと聞いたからと言って、あの人だな!とは思ってはいけない。 といかくアンフォルソ何世か?で随分違ってくる。 アンフォルソ6世に関しては改めて、調べる事にしよう。 ここでは、サントトメ教会について、見て置く部分。 教会の特徴をチェック! 教会のシンボル「モサラベの塔」はムデハル様式と言われている。 ムデハル様式とは、 スペインの建築様式で、レコンキスタ(8世紀に始まるイスラム支配に対するイベリア半島のキリスト教徒による反撃の動き:国土回復運動とも言う)の後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルを言う。 ムデハル様式の特徴 彩色タイルとレンガ、幾何学模様の壁画が最大の特徴。 オルガス伯爵の埋葬 イタリア画風を取り入れたエル・グレコの最高傑作のひとつ「オルガス伯爵の埋葬」 この絵の中で、目線が合う人物2人がグレコ自信と息子と言われている。 グレコの息子の洋服のポケットに、グレコのサインと息子の生年が書かれたハンカチも注目。

カテドラル

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 トレド観光(世界遺産の街) 世界遺産の街トレドの観光スポット、カテドラル(トレド大聖堂) スペインのカトリックの総本山である大聖堂で、正式名はサンタ・マリア・トレド大聖堂。 カテドラルは13世紀に着工し約270年もの歳月をかけて15世紀に完成。 カテドラルの西側には、アユンタミエント広場とトレド市庁舎があります。 トレド市庁舎はエルグレコの息子の設計による建物です。 大聖堂内には     750枚のステンドグラス。 見どころ ①カテドラルの外部 ・カテドラルの正面ファサード(建物を正面から見た時の外観のこと)は3つの扉  「地獄の扉」「免罪の扉」「裁きの扉」 ・南側には「獅子の扉」 ・北側には「大時計の扉」 ・ファサードの上部「最後の晩餐」の彫刻 ・主祭壇(鉄柵で囲まれ近づけない) ②カテドラルの内部  反時計回りが効率的 ・天井 アーチのリブ・ヴォールト(ゴシック建築でよく用いられる天井の様式:アーチを平行に押し出した形状を特徴とする天井様式や建築構造の総称) ・大聖堂内には750枚のステンドグラス ・主祭壇(鉄柵で近づけない) ・トレドの守護神白いマリア ・椅子の彫刻はレコンキスタが終結したグラナダ戦争がモチーフ ・主祭壇の裏側 「トランスパレンテ」と呼ばれる透かしの祭壇 ・聖職者の間(天井にイスラムとキリストが融合した、ムデハル様式の装飾) ムデハル様式とは、 スペインの建築様式で、レコンキスタ(8世紀に始まるイスラム支配に対するイベリア半島のキリスト教徒による反撃の動き:国土回復運動とも言う)の後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルを言う。 ・聖具室(香部屋)   エル・グレコ作「聖衣剥奪」  ルカ・ジョルダーノ作「聖イルデフォンソの昇天」   イルデフォンソは7世紀のスペイン、トレドの大司教で音楽家、詩人。  ゴヤ作「キリストの逮捕」  カラヴァッジョ作「洗礼者ヨハネ」  ヴァン・ダイク作「サグラダファミリア」  ベラスケス「肖像画」 ・宝物室(聖体顕示台 必見) ここで有名なのは、聖具室の正面にあるエル・グレコ作「聖衣剥奪」と天井画のルカ・ジョルダーノ作「聖イルデフォンソの昇天」。

スペイン広場

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 スペイン広場(マドリード) ここで人気の記念撮影、「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」の像。

プラド美術館

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  画像出店:プラド美術館( 地球の歩き方 ) プラド美術館 1819年に王立美術館として出来ました。 スペイン王家のコレクションが飾られているとのこと、その数約3万点だそうです。 プラドの名前は、美術館がプラド通りにあるからだそうです。 建築家ファン・デ・ビリャヌエバによって作られました。 父は彫刻家、兄は建築家。 スペインの建築家としては、ガウディがあまりにも有名ですが、ここスペインでは数多くの建築家や詩人、画家がひしめき合う場所だったようです。 わたくしはイザベル1世の15世紀の物が気になるので、プラド美術館のビリャヌエバ館は是非見たいと思っています。 また、16~17世紀の歴代国王が新大陸からもたらされた富で収集したと言われる、まさに「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたスペイン帝国の繁栄も観たいと思います。 とは言え、ここで見ておくべき展示作品は、以下。 スペイン三大巨匠   ディエゴ・ベラスケス「ラス・メニーナス(女官たち)」   フランシスコ・ゴヤ「着衣のマハ」「裸のマハ」   エル・グレコ「聖三位一体」 ゴヤ門前にはゴヤの像があるらしく、初めてお目にかかれそうです。 🔻 「ゴヤ」詳しくはコチラ⇒

ソフィア王妃芸術センター

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  画像出店:ソフィア王妃芸術センター( マドリード観光 ) マドリードにあるソフィア王妃芸術センターは、ピカソのゲルニカが展示されていることで有名です。 ソフィア王妃芸術センターは、サバティーニ館、新館ヌーベル館で構成されています。 新館ヌーベル館では、チケット売り場、ミュージアムショップ、レストランなどがあり、 サバティーニ館2階に、三大巨匠「ピカソ」「ダリ」「ミロ」の作品が展示されているので忘れずに見ておきたいですね。 スペイン王妃 ソフィア ソフィア王妃芸術センターの名前にもなっているソフィアはスペイン王妃。 正式名は、ソフィア・デ・グラシア・イ・ディナマルカと長い名前です。 ソフィア王妃の 祖父は、ギリシャ国王コンスタンティノス1世、 祖母は、ドイツフリードリヒ3世とヴィクトリア(イギリス女王ビクトリアの長女)の三女として生まれたギリシャ王妃ソフィア。 父は、ギリシャ国王パウロス1世、 母は、ギリシャ王妃フリデリキ(祖父はドイツ皇帝ヴェルヘルム2世) ソフィアは、ドイツやギリシャの祖先を持つ方です。 日本で言う、お歴々の方です。 今回のソフィア王妃芸術センターの他にカナリア諸島にある空港にも王妃の名前が使われています。 1961年のイギリスのケント公爵エドワード王子の結婚式に出席した際、未来のスペイン王「ファン・カルロス王子」と出会う。 翌年1962年、ギリシャで結婚。 夫はスペイン王 ファン・カルロス1世。 1938年生まれで、2023年現在は84歳でいらっしゃいます。 ソフィア王妃芸術センターに飾られている三大巨匠  🔻 「パブロ・ルイス・ピカソ」詳しくはコチラ⇒  🔻「サルバドール・ダリ」詳しくはコチラ⇒  🔻「ジュアン・ミロ」詳しくはコチラ⇒

スペイン 9日目 9月10日

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  スペイン 9日目 9月10日(日) ドバイ 00:15 昼食 機内食 夕食 機内食 乗り継ぎ 17:15 関西国際空港

スペイン 8日目 9月9日

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  スペイン 8日目 9月9日(土) バルセロナ 12:00 専用バスにて空港へ バルセロナ発 15:30 エミレーツ航空にてドバイへ(6時間45分) 夕食 機内食

スペイン 7日目 9月8日

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  スペイン 7日目 9月8日(金) バルセロナ 終日、自由行動 17:20 フラメンコディナーショー(夕食付) ホテル 22:30 クラリスホテル

スペイン 6日目 9月7日

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  スペイン 6日目 9月7日(木) グラナダ 10:30 バス 空港へ グラナダの空港 12:55 飛行時間(約1時間30分) バルセロナ 14:25 バルセロナ観光(約3時間)           ①グエル公園(世界遺産)           ②サグラダファミリア(世界遺産)           ③サンパウ病院(世界遺産) 夕食 19:00 オリア ホテル 22:30 クラリスホテル ホテルクラリスは、バルセロナの中心部のエイサンプル周辺に位置する5つ星のグランドラックスホテルで、街で最も有名なショップが並ぶグラシア通りからすぐです。

スペイン 5日目 9月6日

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スペイン 5日目 9月6日(水) セビージャ 09:00 バス バス(234㎞)    アンダルシアの白い村「ミハス」 昼食 12:00 ★★     ガスパチョ(トマトの冷製スープ) バス(152㎞) グラナダ 15:00 グラナダ観光(約2時間)    ①アルハンブラ宮殿    ②ヘネラリフェ庭園 夕食 18:00 ★★ ホテル 19:15 サライ SarayHotelは、伝統的なモザイク、アーチ、噴水のあるエレガントなアンダルシア風のデザインが特徴です。

スペイン 4日目 9月5日

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  スペイン 4日目 9月5日(火) マドリッド 09:00 バスで駅へ 列車 スペイン高速鉄道AVE(約2時間40分) セビージャ着 昼食 12:00 ★★     タパス(スペイン小皿料理) 13:00 セビージャ観光(約2時間)      ①カテドラル      ②ヒラルダの塔      ③スペイン広場      ④サンタクルス街 夕食 19:00 アルフォンセトレセ ★★ ホテル 19:00 アルフォンソトレセ アンダルシア州のセビリアはスペイン有数の観光都市。ホテルアルフォンソはその中心部に位置する、スペイン全土でも最上位にある歴史と格式を誇る名門ホテル。 ホテルのデザインは、建築家ホセ・エスピア・イ・ムニョスのよるもの。 正面ファサードはムーア様式の技法を取り入れたネオムデジャール様式。 ムーア様式:スぺインの建築様式で、レコンキスタの後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教の建築様式が融合したスタイル。 1916年に建築が始まり、1929年開催のセビリア万博に合わせてオープン。 建物はセビリア市の所有となっている。

スペイン 3日目 9月4日

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  スペイン 3日目 9月4日(月) マドリッド  09:30 マドリッド観光(約3時間)       ① ソフィア王妃芸術センター       ②プラド美術館       ③スペイン広場 昼食     12:00 ★★        シーフードとイカスミのパエリア トレド    14:00 トレド観光(約2時間)       ①カテドラル       ②サントトメ教会       ③美しい町のパノラマ 夕食     19:30 ★★ ホテル    21:15 ヴィラレアルホテル 

スペイン 2日目 9月3日

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  Photo:エミレーツ航空の飛行機 スペイン 2日目 9月3日(日) 04:50 ドバイ着 乗り継ぎ マドリッドへ  飛行時間07時間45分 朝食 機内食 昼食 機内食 07:40 マドリッド着 着後ホテルへ 夕食 各自 宿泊ホテル:ヴィラレアル モダンな調度とクラシカルな19世紀のスペインの建築様式を融合した美しい姿は、保守的なマドリードでは目立つ存在。 1番の魅力は立地。 正面に国会議事堂、プラド美術館、ティセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センター、ロイヤルオペラ劇場などに隣接。

スペイン 1日目 9月2日

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Photo:関西国際空港(画像:ウィキペディアより)   スペイン 1日目 9月2日(土) 関西国際空港 発 エミレーツ航空にてドバイへ 飛行時間:10時間05分 夕食 機内食

スペイン旅行:概要

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  阪神航空 フレンドツアーエミレーツ航空 名門ホテル「アルフォンソトレセ」に泊まる太陽の国スペイン9日間 出発日2023年09月02日(土) 帰着日2023年09月10日(日)