エル・グレコ
エル・グレコは1541年、ヴェネチア共和国統治時代のクレタ島、現在のギリシャの島に誕生。本名はドミニコス・テオトコプロス。1614年に逝去。
スペイントレドで活躍。突出して変な画家。と言われる。
画家人生:
当時の統治領などの影響でポスト・ビザンティン美術の要素をもちながら
独学で部分的にイタリア ルネサンス美術の手法を取り入れる。
1563年22歳でイエス・キリストや聖書の重要な出来事を描くイコン画家として独立。
1567年26歳、イタリアのヴェネチアへ。ティツィアーノ・ヴェチヴェリオの弟子に。
色彩や遠近法、解剖学、油彩技法などのルネサンス様式を習得する。
「モデナの三連祭壇画」
36歳でスペインへやってくる。
初仕事は大聖堂の「聖衣剥奪」
光の表現が好きだった。
原色(赤・黄色・緑・青)を大胆に使う。
ローマでは実力のある画家が多かったので仕事が無かったが、スペインに来るといきなり大きな仕事を請け負う事になる。
スペインで国王フィリペ2世からエル・エスコリアルの建築の仕事の依頼を受ける。
「聖マウリティウスの殉教(じゅんきょう)」→フィリペ2世がダメ出しを出す。
理由は、「殉教」が小さすぎる。がちゃがちゃしてて祈る気になれない。と言われ宮廷画家の夢が潰れる。
しかしトレドでは人気があった。教会が異常に多くある。
イスラム文化、ユダヤ文化の文化がたくさんあった。
首都がトレドからマドリッドに移される。
画家がマドリッドに行ったので、トレドに居るエルグレコに仕事がたくさん舞い込む。
「オルガス伯の埋葬」→下半分は普通、上半分はがちゃがちゃ。
エルグレコ節がさく裂した作品を出す。
絵は「浮遊感」「多視点」「変形」「原色」おおげさに引き延ばされた体。曲がりくねったポーズ。遠近法が狂った空間に漂う人々の表現。
