フランシスコ・デ・ゴヤ
着衣のマハ
フランシスコ・デ・ゴヤ
スペインの画家。宮廷画家。
1746年生まれ。父親はメッキ師であり、芸術の中で育つ。
1770年大画家を目指しイタリアへ。ルネサンスに出会いフレスコ画の技法を学ぶ。
27歳、兄弟子の妹と結婚。
1786年、カルロス3世付の画家、1789年カルロス4世の宮廷画家。
46歳で聴力を失う。
82歳で逝去。
「裸のマハ/着衣のマハ」
1800年時代。マハは名前では無く、スペイン語で「小粋な女性」の意。ゴヤが付けた名前では無い。
この裸の絵は1800年頃は許されたヌードでは無い。
個人的に頼まれて書く場合はOKだった。
宮廷画家にこのような作品を依頼するのは難しい。
マヌエル・デ・ゴドイ公爵宰相の家にあったから、この人の依頼だとされている。
マヌエルは王妃の寵愛によって大出世をした人。公然の秘密だった。
カルロス4世の一家の絵「カルロス4世が馬鹿っぽくて、王妃のマリア・ルイサが美人に書かれていないのでゴヤの皮肉じゃないか?と言われている。
この絵には左端にゴヤを書き込んでいる。
このマリア・ルイスとマヌエル・デ・ゴドイ公爵が愛人関係である。
異端審問かけられた絵画であった。
「白衣の公爵夫人」=第13代アルバ女公爵(スペインで最高の位)
この人がマハのモデルと言われていた。
マリア・ルイサ王妃のライバルであった。
一時、ゴヤを愛人にしていた時がある。ゴヤはアルバに捨てられるがその前に書いたのが「黒衣の公爵夫人」足元に「ゴヤだけ」と書かれている。指輪にもゴヤ、アルバの刻印。
35歳~38歳。それを考えると、マハはアルバでは無いのではないか?とも言われている。
別のゴドイの愛人。使用人、ペピータという住み込みのお手伝いが居た。一途だった。結婚したいと思っていたが、王妃マリアから身分が合わないと駄目が出る。王妃が差し出した女性と結婚するが、その妻が無くなるとペピータと結婚する。
「マハ」はペピータだったのでは無いか?が定説になっている。
マヌエル・デ・ゴドイ公爵はナポレオンと和平条約を結ぶなど親フランスの人だった。
ナポレオン攻めて来ないでねとお願いしたのに攻めて来た。
1808年にカルロス4世が廃位させられる。ナポレオンの兄ホセ1世(ジョゼフボナパルト)がスペインの王となりマドリードの市民がナポレオンの軍にやられるという絵が「マドリード1808年5月3日」ジャーナリズム絵画と言われる。
ナポレオンが失脚し、スペインのホセも失脚。
スペインは独立しないといけない。という機運が高まり助けますと来たのが「ウェリントン公爵の肖像」スペインにいたナポレオン軍を破ってフェルナンド7世としてスペイン国王に返り咲く。(←ダメ政治)
しかし、この人の政治に納得がいかなかったゴヤは「聾者の家」に引きこもる。
民衆がスペインがこうなったのもゴドイがナポレオンと和平条約をした為と怒り、ゴドイの邸宅を家宅捜索された際、裸のマハの絵が見つかり異端審問される事となる。フェルナンド7世により異端審問となる。「異端審問所」という絵画もゴヤが書いている。
最後にはフランスに亡命して亡くなる。
「我が子を食らうサトゥルヌス」
ローマ神話のサトゥルヌス=農耕の神様
サトゥルヌスの父は創造神ウラヌス。このウラヌスの性器を鎌で切り落とし殺す。その泡から生まれたのが女神ヴィーナス。父を殺しサトゥルヌスが王様になる。
そんな事をしたものだからあんたも自分の息子にやられるよ。と予言される。
それで、生まれてくる子供次々に食ってしまう。
5人目になって大地の女神レアー(母親)が石を食べさせて助けた。その子がゼウス。
黒い絵(4枚)のうちの1枚。
聾者の家の壁にある。壁から外してキャンバスに移しプラド美術館にある。
何故、ゴヤはこの家で暗い絵ばかりを描いたのか?
ゴヤはスペイン王室に使えてきたのにスペイン王室に弾圧される。親に食われる子の心境が反映しているのかもしれない。

コメント
コメントを投稿